5 政争 (3)

 修太郎は池畠記念会館建設の相談という名目で、福畑・二木・外古葉・小平の四者会談を設けた。場所は都内の料亭だった。外古葉が買収されたという話はすぐに小平の耳に伝わり愕然とさせた。大勢が決してしまえば後は勝ち馬に乗るしか手立てはなかった。四者会談では二木を次期総裁に推すことで話がついた。
 修太郎は裏方に撤し、この会談そのものには顔を出さなかった。
 翌日、右翼で政治ゴロの大玉から修太郎のところに会いたいという連絡があった。元々川野系の外古葉と繋がりが深かった大玉だったが、右藤時代に福畑ともよしみを通じ、最近は金払いの良い畑中に寝返ったので、修太郎は警戒した。畑中の報復をまず考えないわけにはいかなかった。誘い出して俺を殺す気かもしれない。数多くの暴力団と親交のある大玉は鉄砲玉を好きな時に使うことができた。
 大玉のほうから出向くという条件で、修太郎は面会を承諾した。場所は警視庁に対面している法務省ビルにした。福畑に頼んでビル中を私服・制服の警察官で固めた。最上階の会議室で修太郎は大玉と面会した。大玉と秘書は修太郎に会うまで五回もボディチェックを受け、顔を見合わせ苦笑した。
 大玉の話は畑中の全面降伏だった。畑中は二木と秘密会談を希望しており、その際、逮捕しないことを条件に二木派を全面的に支援し長期政権が実現するよう尽力するという内容だった。修太郎は拍子抜けがした。かつては今太閤と持てはやされ、日本中の土建業者に絶大な権力を揮い、日本の地価を自分の一存で上下させ、日本最大の暴力団を私兵化していた人物が、今では自分の逮捕を怯え、恥も外聞もなく誰彼かまわず頭を下げまくっているのだ。
 修太郎は政界に首を突っ込むことに虚しさを覚えた。
 年末が近づき、党内調整がつき二木は総裁に指名された。二木は「クリーン二木」をキャッチフレーズにして、世論重視・社会的不公正の打破・インフレ阻止の看板を掲げた。このうちインフレ阻止については、オイルショックの影響で深刻な不景気になったので、自動的に解消されたが、それ以外は保守党の右派勢力に押され続けてなし崩し状態だった。

 昭和50年も半ばを過ぎ、密約を破って総理の椅子に居座り続ける二木に業を煮やした福畑は、川本を呼びつけて恫喝した。福畑は、国税庁を使って二光汽船の不正経理を暴いてやると凄んだ。
 福畑がつかんでいる情報は事実だったので、困った川本は修太郎を呼びつけた。
「福畑は怒って、俺の会社を潰すと息巻いているぞ。二木先生は勿論勇退するおつもりなどない。極東親和会系の右翼も街頭宣伝カーで俺の会社の前で騒いでいる。神戸組あたりを使って何とかできないか?」
 右藤から極東親和会の指揮権を譲り受けた福畑は、畑中と組んだ神戸組と各地でいざこざをおこしていた。警察権力を掌握している福畑は露骨に神戸組を圧迫したので、神戸組は苦況に立たされていた。二木が首相になってからは、福畑の神戸組に対する弾圧はますますエスカレートしていた。
「畑中と組むしか手はなさそうですね」
 と修太郎が言うと、川本も頷いた。
「やはり、その手しかないだろうな。逮捕から逃れるためには、福畑と戦争して勝つしか方策はないと説得するんだな?」
「小平も巻き込みましょう。後半年したら禅譲するから協力してくれと言うんです」
「小平にも同じような密約をするのか? まるで町工場の自転車操業だな。半年したら今度は小平が騒ぎ出す。そうしたら、外古葉と密約しようと言うんだな?」
「ご明察です」と言って修太郎が笑うと、笑わないことで有名な川本が珍しくつられて笑った。
 かくして二木と畑中は協定を結び、反福畑の路線を取ることで協力し合うことになった。二木の裏切りに激怒した福畑は自派の閣僚を全て引き上げる決意をし、反二木包囲網を画策した。しかし、小平は川本の示した政権譲渡話を真に受け二木陣営についた。日和見の外古葉は二木有利と見て、反福畑の態度を示した。
 選挙区が同じの福畑と外古葉は、共に派閥の領袖であったのでトップ当選をしなければ沽券にかかわったのだが、けちで有名な福畑に輪をかけてしみったれの外古葉は、地元に金を落とすことが死ぬほど嫌いだったので選挙をするたびに大差で福畑に破れ続けていた。そのため、福畑に対する怨念の深さは半端ではなかった。
 二木を包囲するどころか、逆に自分が包囲されてしまった福畑は困り果てた。二木は外古葉の要求を聞き入れて自分と仲の好い麦葉を法相にし、福畑虎の子の司法権を奪いにかかっていた。これは政権獲得後一年を経過した段階でボディブローのように福畑にダメージを与えた。二木は早速暴力団追放キャンペーンをぶち上げ、福畑私兵の極東親和会狩りを始めた。神戸組の活動に目を瞑りだしたのは言うまでもなかった。注: 文字用の領域がありません!
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