15 ミグ戦闘機亡命事件(2)


 24日には国営放送の会長が恥も外聞もなく畑中邸に見舞いに行った。国民はあらためて権力の言いなりになるマスコミの実態を認識した。
 9月になると、畑中は公然と政治活動を再開し、地元選挙区の陳情受け付けを開始した。
 6日に、突然ソ連のミグ戦闘機が函館空港に強行着陸した。操縦士のベロンコ中尉はアメリカへの亡命を希望した。戦闘機は25型の新鋭機だった。まさか、こんな軍事機密と一緒に亡命してきたベロンコを秘密工作員と思う者はいなかった。
 自衛隊関係者や在日米軍は日本の防空ラインが全く当てにならないものであることを見せつけられ苦渋した。
 ソ連側はベロンコの身柄引渡しと、機体の即時変換を主張したが、アメリカは当然それを許可せず、ベロンコのアメリカ連行と米軍による機体の徹底検分を要求してきた。
 外交にとりわけ弱い二木は、この降って湧いたような災難に頭を抱え込んだ。
 7日になると、修太郎はまた川本に呼ばれた。
「二木先生はパニックになられて、政権を福畑に譲るとおっしゃりだした。そんなことをされては今までの努力が全て水の泡だ。畑中もカッターが政権を取るまでやめさせるわけにはいかないと息巻いている。君は確かブラジャネブ書記長と懇意にしていたな。書記長に会って、向こうの真意を確かめて来てくれないか?」
 カッター勝利後政権を福畑に譲る案は自分の言い出したことなので、道義上修太郎は、川本の依頼を拒否できず、ソ連行きを了承した。修太郎の存在はマスコミに知られていないので、秘密大使としての人選は最適だった。
 何故か、ブラジャネブはウラジオストックにいた。亡命事件のことが気掛かりなのかもしれない。川本はソ連大使館を通して修太郎とブラジャネブの会談を取り付けようとしたが、例によってお役所仕事丸出しの対応で確認に時間がかかりそうだった。
 確認を待つような悠長なことをやってはいられないので、その日のうちに政府特別機で急遽ウラジオストックに飛んだ修太郎は、現地でブラジャネブとの交渉を求めた。秘密大使ではあるが政府公認の修太郎をソ連政府は邪険にできなかった。下っぱ役人が応対しようとしたので、修太郎はブラジャネブ以外とは交渉しないと強硬な態度を取った。やむなくブラジャネブは交渉に応じた。
 案の定ブラジャネブは凄い剣幕で機体を返せと迫った。しかし、修太郎は鼻先で笑った。
「臭い芝居は、時間の無駄だからやめましょう。そっちの目論みは全部ばれているんですよ。タイミングが良すぎましたねえ。私があなただったらもう少し時間をずらすんですけれどもねえ」
 修太郎はロシア語で応対した。語学はもともと苦手だったが、ソ連で商売する手前必死で覚えたのだった。
「なあ、兄弟、どこまでこちらの手の内を知っているのかね?」
 下手ながらロシア語を話す修太郎に、ブラジャネブも秘書官や通訳にうっかり合図を送れない。
「まず亡命機だが、日本の技術をなめてはいけない。新鋭機といっても開発してから日にちが経っているし、ニューモデルが完成したんじゃないんですか? それに、重要な部分も巧妙にすり替えられていることは見破られています。改悪費用のほうが本物よりも高くついたのではないかと思いますが、これだけでもベロンコがスパイだということは判ってしまう。要するに日本の防衛ラインを破ることに目的があったんですな。
 つまり、現在の戦闘機を含めた日本の国防システムでは使いものにならない。緊急に新しいシステムを購入する必要がある。そうなれば売り込んで儲かる者が出てくる。まずはそこからリベートが出ているんでしょうなあ」
 ブラジャネブは渋い表情になった。ロシア人は感情がすぐ表情に出るので、内心を読みやすかった。
「そんなことを言っても推測でしかないんだろう?」
「もう一つはミグ戦闘機の性能アピールですね。外国に売りつける時の宣伝になる。まあ、これが本筋でしょうなあ。外国に売りつければ、性能の秘密もへったくれもないですからねえ」
「知っていることはそれだけか?」
「書記長、兵器メーカーの裏にはフォラードがいるんじゃないんですか?」
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