16 ミグ戦闘機亡命事件(3)

 ブラジャネブはぎくっとした。
「そんなことまで俺に喋って、生きて日本に帰れるとは思っていないだろうなあ?」
 ブラジャネブは凄んできた。あてずっぽうで言ったのだが、本当だったようだ。
「こう見えても私は日本政府の正式代表ですよ。私の躯に指一本でも触れてみなさい。あなただってただじゃすみませんよ」
 修太郎は物凄い表情でブラジャネブを睨みつけた。初めて修太郎の本性を見たブラジャネブは身震いした。
「日本風情に何ができるって言うんだ。こっちはいつだって東京に水爆をぶちこむことができるんだぞ。東京を潰した程度でアメリカが報復するとは思うなよ。アメリカだって馬鹿じゃない。日本なんぞと心中する気はないんだ。結局日本はやられ損で俺に詫びを入れることになるんだ」
「馬鹿なのはあなただ。中国のことを忘れてはいませんか? そんなこともあろうかと、アメリカは大量の核物質を中国に密輸したんですよ。今頃はもう核弾頭になって、モスクワに向いて並んでいるでしょうよ。別にアメリカが仕掛けなくたって、いつでも中国から水爆が飛ぶことを忘れないでくださいよ」
 思い当ることがあるのか、ブラジャネブは悔しそうな表情をした。
「中国が日本に味方するとは限らないだろう」
「残念でしたね。畑中が北京で話をつけてきたことはあなたも知っているでしょう。耄沢蕩の最大の敵はあなただ。あいつが惚けて正常な判断をできないことは知っていますね。側近が何とか宥めているが、モスクワに水爆を落とせと毎日騒いでいるとの話ですよ。一月に週怨来が死んでからは、中国で耄に逆らえるものはいない。あいつは狂信派に囲まれて暮らしているんですよ。気違いに刃物という日本の諺を知っていますか?
 あなたが私を殺せば、畑中が女帝の糠青に連絡することになっています。糠青は畑中が奴隷に送った元アイドルタレントにすっかり夢中で、畑中の言うことは何でも聞きます。耄は糠青に逆らえない。そうすれば耄はモスクワに水爆を落とす命令を出すんですよ」
 ブラジャネブは唸り声を上げた。立場上当然であるが、転闇門事件以来の中国の無茶苦茶ぶりは嫌というほど知らされていたので、修太郎の言ったことが本当であると思ったようだった。
「実はその可能性は大いにあるんだ。やはりリスクが大きすぎるからおまえを殺すのは諦めよう。どうだ、仲直りしないか? なあ兄弟!」
 ブラジャネブが突然人懐っこい態度を取り出したので、修太郎は呆れた。いつまで経ってもロシア人の気質には慣れにくい。
「これからは固い話は抜きだ。ウオッカを飲みながら話そうじゃないか?」
 ブラジャネブは部下に命じて酒とキャビアを持ってこさせた。ブラジャネブは自らグラスにウオッカを注いで、「さあ、仲直りの乾杯をしよう」と言った。
 同じボトルの酒だから飲んでも大丈夫だろうと判断して、修太郎はグラスの酒を飲み干した。
「挑発して悪かったな。日本にはCIAがいっぱいいるから俺とおまえの仲を詮索されたくはなかったんだ。実は兄弟がこっちに来るように川本に頼んだのは俺のほうだ。勿論、俺の名前を直接出すようなことはしなかったがな」
 修太郎はブラジャネブにはめられたことに驚いたが、まだ真意は判らなかった。
「何かよほどの大事件が起こったみたいですね?」
 修太郎が尋ねると、ブラジャネブは大いに頷いた。
「日本がどの程度事実に気付いているか鎌をかけさせてもらったが、あまり判っていない様子だなあ」
「私の言ったことがすべてではないんですか?」
 修太郎は気を落ち着けるためにグラスに残ったウオッカを一息に飲み込んだ。ブラジャネブもまねをしてウオッカを一気飲みした。
「ところで、兄弟。中国をこのままほったらかしにしておいたら、世界平和にとって好ましくないんじゃないかなあ?」
「確かに、核ミサイルのスイッチを握っている男の中では、耄が一番危ないですね。あいつはまともな判断ができる状態ではない」
「俺の集めた情報では、耄の奴は無神論者で、自分が死ねば世界も終わると思い込んでいるらしい。自分は世界で一番偉大な人物だから、自分が死ぬ時他の人間は全員殉死するのが当然だと考えている」
 修太郎は思わずブラジャネブの顔を見つめた。
「おい兄弟、誤解するなよ。こう見えても俺はクリスチャンだ。神の国を信じている。万が一、俺が死ぬとしても、他の奴を道連れにしようなんて馬鹿なことは考えない。殉死なんて発想はロシアにはない。東洋独特の考え方なんだろう?」
「いや、世界中にありましたよ。ヨーロッパだって昔はやってました」
「しかし、この時代にやろうっていうんだから気違いじみている」
「要するに、耄は自分が死ぬ前に、世界中に核ミサイルをばら撒く気でいるんですね?」
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