No45

「霊」ということばは世界中の人間が知ってい る

地球上にはさまざまな民族が生活しています が、そのすべての民族に「霊」に対応すること ばがあります。

ということは、人類は誰でも霊のイメージを持 っているということになります。

このことは霊の存在が人類にとってあたりまえ のものであることを示しています。

霊が実在するかはともかくとして、人類は体験 的に霊という存在を考えなければ説明のでき ない現象に多く出会ってきたということです。

霊の存在を感覚的に知覚した状態が「幽霊」 です。

幽霊を目撃したという話は古今東西を問わず いたるところで耳にします。

しかし、いまだにその実在性は証明されてい ません。

報告例の多さからすると、異常な事態と言わ なければなりません。

珍獣の発見や珍しい自然現象ならば、出会う 確率がわずかなので、実在性を確かめること は困難なのですが、幽霊を目撃した話は、10 人いれば1人はそのような体験をしたと言いま す。

科学者の多くは幽霊を「錯覚である」と否定し ます。

しかし、彼らの多くは生命は地球で単独で発 生したものと思いこみ、生命現象は物理的に 説明できると考えています。

確かに生命現象は物理的に説明されるべきな のですが、一般の科学者達はせいぜい素粒 子レベルで説明しようとします

それ以下の単位は仮説の域を出ないので仕 方ありませんが、何がなんでも「錯覚」と言って のける態度は感心しません。

「錯覚」であるなら、それを実証できなければ なりません。

また、外国人の場合は科学者であっても公然 と信仰を明らかにしている人が多いのですが、 日本人の場合、科学者が宗教に味方した立 場を取ると白眼視される傾向にあります。

いきおい彼らは、唯物論者で無神論的発言を しなければ社会生活上困ると思っているふし があります。

しかし、彼らの多くは神式の結婚式を挙げ、仏 式の葬式を行い、墓参りにも行き、先祖の供 養をしています。

人間の行動というのは矛盾に満ちています。

幽霊の存在や神の存在は公式に否定されて いるのに、政治家が特定の神社を公式参拝し たり、民主主義を看板にかかげる政党が王制 を支持したりしています。

幽霊の存在はマスコミなどでおもしろおかしく 報道されている反面、アカデミズムからは無視 されているというのが実態です。

少数の科学者は、幽霊がよく出没すると言わ れている場所にビデオカメラや赤外線カメラ・ 超音波探知器などを置いて、何とか客観的に 幽霊を測定しようと試みていますが、うまくいっ た例はありません。

それでは幽霊はビデオや写真に写らないのか というと、心霊写真というジャンルがあることか らわかるように、場合によっては簡単に写るよ うです。

その写真がトリックでない限り幽霊は光学的 に検証できる実体なのです。
注: 文字用の領域がありません!

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