No50

臨死体験が幻想である可能性

それでは、「臨死体験」が幻想である可能性に ついて検討してみることにします。

臨死体験報告は民族や宗教によって内容に 違いのあることが確認されていますが、基本 的な事項は共通しています。

魂が肉体から離れたと確認した後、黒い渦に 巻きこまれ、優しい光の存在によって導かれ ますが、その時文化の違いが現れ、光の中に キリストの存在を確認したり、白髪の老人が出 現したり、荘厳な声だけが聞こえ姿が見えな かったり、観音菩薩だったりしますが、基本的 にはガイドが出現することで共通しています。

「三途の川」を越えるという体験も共通してい ます。

「三途の川」は日本人にはあたりまえイメージ ですが、世界中の地域で大河に相当するもの を見ている点が共通しています。

面白いことに、仏教とは無縁の地域の幼児ま でがこのような体験をしています。

大河を渡らなかった臨死体験でも、荒野や砂 漠で代行しています。

この世とあの世を分けへだてる地理的な障害 を視覚的に認識しているのです。

さらには、「川を渡りきる前にすでに死んでい る近親者にさとされてこの世に戻される」とい う場面も世界共通のようです

以上のことを「幻想」と言うのならば、それは、 「人類共同幻想」と呼ぶべきものです。
「霊現象は人類の共同幻想である」と解釈す るためには、なぜ人類はそのような誤った情 報を無意識に作り上げるようになったのかを 説明しなければなりません。

その情報を作るためには人類の共通体験が 必要となります。

「その体験は何か?」と考えると、「霊」と同じ 現象を想定しなければならなくなります。

inserted by FC2 system