第二章
そのころヴァイシャリー市に、ヴィマラキールティという資産家がいた。
彼は謎の多い人物で、彼は二十年前にヴァイシャリー市にやってきたのだが、それ以前の彼の足跡を知る者はいなかった。
彼が市にやってきた当初は、行商の香辛料売りにすぎかった。
風体もみすぼらしく生活も苦しそうだったが、彼の売る香辛料は品質がよく値段も適性だった。
それに客に対する愛想もよく気さくな応対ぶりだったので、資産家の召使いを中心に彼を贔屓にする客が増えていった。
彼の顔がヴァイシャリー市でも知られるようになったころ、繁華街の一等地に自前の店を出した。
確かに行商の評判がよいことは知っていたが、店を出すほど儲けていたことを知る者はおらず、人々を驚かせた。
最初は小じんまりした店だったが、毎年増築を重ね、数年間でヴァイシャリー市屈指の大店舗になった。
店舗にほど近い住宅街に、ラジャ(領主)の宮殿に匹敵する大邸宅を建築し、再び人々を驚かせた。
その後彼は資財を投じて病院を作ったり、さまざまな慈善活動を行なって人々から尊敬されたが、また多くのことに口出しした。
寄付をする際にも、彼は黙っていることはなく、必ず説教をするのが常だった。
そのため、インテリ層で彼のことを嫌う者は多かった。
中には論戦を挑む者もいたが、ヴィマラキールティはどこで知識を仕入れたのか、極めて博学で弁舌も冴え渡っており、まともに理論で太刀打ちできる者はいなかった。
どのような手段で彼が巨万の富を築き上げたかを知る者はいなかった。
富豪になってからの彼は金貸しもしていたが、一般の相場よりも低利だったし、相手を選り好みしなかった。
そこで、隣国と泥沼の紛争を続けていたたラジャは、戦費の嵩みによる財政の悪化に苦慮していたが、ついに万策尽きてヴィマラキールティのところに借金を申し込むようになった。
同業者達はラジャの踏み倒しを恐れて貸し渋ったが、彼はラジャの要求に快く応じた。
その結果宿敵を打ち倒すことができたラジャは、おおいに感謝して彼を名誉市民に推挙し、クシャトリヤ(貴族階級)の称号を送ろうとした。
だが、ヴィマラキールティは固辞し、ヴァイシャ(市民階級)のままで結構だと言った。
ラジャの信頼を得、名士の地位を確定させたヴィマラキールティが、当時胡散臭い貧乏新興教団とみなされていたゴータマ教団に入信し多大の寄付をしたので、またまた評判になった。
そうでなくても成り上がりのヴィマラキールティを快からず思っていた連中は一斉に彼を非難した。
教組のゴータマはクシャトリヤ出身を強調しているが、信憑性には乏しく、信者の多くは輪廻の枠外にいると思われていたシュードラ階級だった。
中には不可触賤民(カースト外の最下層階級)さえいるのではないかと噂されていた。
ゴータマ教団の行動は当時の北部インドの倫理観に相容れないアウトロー集団だったのである。
ヴィマラキールティは賭博場にもよく姿を現わした。 彼の賭け方は堅実で、大勝ちしないかわりに大負けもしないという内容だった。
また彼は売春街にもよく出掛け、娼婦達と親交を深めていた。
彼の娼婦達への面倒見はよく、金銭的な相談にはよく乗ってやっていた。
しかし、そのつど説教するくせがあったので、娼婦達からは少し煙たがられていた。
彼は酒場にもよく顔を出した。彼は酒を飲むとますます冗舌になったので、顔見知りのバラモン達と論戦をすることもあった。
誰も彼とまともに論戦しても勝つ自信はなかったので、彼に論戦を挑まれた場合、彼が喋り疲れて休息している頃合を見て、野暮用などを理由に引き上げるのが常だった。
常に霊格の向上を主張し、様々な人間の欠点をあげつらい、叱咤激励していたヴィマラキールティだったが、その彼が病気になったという噂が流れた時、人々は意外に思った。
日頃彼は多くの人間に、 「あらゆる病気はエゴイズムが原因で起こる。病気なるような人間は自らを反省して、一層の精進に励まなければならない」
と説いて回っていたからだった。
「そんな偉い人がかかる病気とはいったい何なのだろう?」
という素朴な疑問や、 「ついに奴の化けの皮が剥がれたか。いつも俺達に偉そうなことを言いやがって、ざまーみろ。
病気になったことをいったいどう言い繕う気でいるんだろう?」
などという悪意に満ちた意見まで出て、ちまたでは色々な憶測が飛んだ。
彼の病気に一番驚いたのはラジャだった。 現在のところ彼から借りた借金を返すあてはなかったが、放漫な財政事情は改善されず、さらなる借金を必要としていた。
多くの金貸しから警戒され見離された彼が最後に頼る人物はヴィマラキールティしかいなかったのだった。
ラジャとしては、今彼に死なれたら困るので、大臣に命じて様子を見るための見舞いに行かせた。
大臣はラジャの意向を受けて数人のバラモンを伴い、ヴィマラキールティの邸宅に訪れた。
ヴィマラキールティは大臣らを寝室に呼び応対した。 彼らが見た印象ではヴィマラキールティは明らかにやつれていた。
しかし、彼は寝巻ではなく普段の服装をしており、椅子に座って気丈に振る舞っていた。
彼は見舞い客達を長椅子に座らせると例によって一席演説を始めた。
「皆さん、私達が宿っている肉体というものは実に頼りないものです。
この肉体を維持するのにも苦痛や困難が伴います。 また、病気にもかかりやすいものです。
ですから宇宙知識を求める者はこのような肉体など全く頼りにしていないのです。
そもそも肉体とは私達の執着心が原因で発生したものなのです。
執着心は迷いによって生じます。 だから、結局この肉体は現象にすぎないのです。
現象にすぎないから自らの行いによって影響を受け、変貌してしまうのです。
迷いは絶えず変化し続けます。 だから、肉体も変化をやめることができないのです。
また、この肉体は物質で作られています。 だから、固体・液体・気体・プラズマ体の形質を持ちます。
だが、これらの密度の低い状態からは霊体を作り出すことはできません。
この肉体は実体(真空内部の永遠普遍構造)ではなく、物質の四種類の形態を現わしているだけのものです。
またこの肉体は霊体を含んでいません。 だから、物理法則によって支配されています。
また肉体を波動と解釈してもエネルギー状態が低く、現象的にしか存在できません。
肉体は誕生した後エントロピーが増加するだけです。 だから、肉体は確実に摩滅していきますし、最終的には機能を停止してしまうのです。
皆さん。この肉体は頼りないものですから、まずは自分の霊体を自覚しなければなりません。
霊体は永遠普遍の実体の姿に近いからです。 それは計り知れない多くの年月をかけて宇宙知識によって作られたものです。
霊体は宇宙の法則を守り、心の動揺を鎮め、宇宙知識を学び、エゴイズムから解放され、その解放のエクスタシーを他者に向けると行為によって進化し覚者の体に到ります。
皆さん。覚者の体を得て、全ての人を病気から解放したいと思うなら、宇宙知識との合体を求める心を起こさなければならないのです」
このように、ヴィマラキールティは、見舞いに訪れた人達のために講釈した。
見舞い客のバラモン達は教養が高く哲学にも通じていた人物ばかりだった。
だから、ある程度は彼の教説を理解することができた。 人間の本性を霊に求めることはできるだろう。
また、自己と宇宙大霊との合一を求めることが、この世に自己が存在することの目的であることは自明の理だった
だが、「全ての人を病気から解放する」努力などする必要があるのかは疑問だった。
「全ての人」とはどこまでの全ての人だろうか?
バラモンについて言っているのか?
ヴィマラキールティが属するバイシャまで含めるのか、あるいはシュードラまで含まれるのか、見当がつかなかった。
霊魂など存在しないシュードラの病気を治してやると自己がブラフマンと一体化できるとはどういうことだろう?
覚者とブラフマンとは別の存在なのだろうか?
そもそもこの話とヴィマラキールティの病気とどんな関係があるのだろうか?
さらには、 「また例によって、こいつは私達を煙にまいて、自分が病気になったことを誤魔化そうとしているのではないか?」
と勘繰る者までいた。
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