ヴィマラキールティさんにも招待状を出したのですが、最終日になってお見えになり、有力者の方々と談笑なさっておいででした。
そこで私が彼に寄付の協力をお願いしましたところ、にべもなく断られてしまいました。
彼が篤志家だと聞いていましたので、何故協力してもらえないのか訳を聞きましたところ、寄付のやり方を間違えているとおっしゃるのです。
『それならば、正しい寄付のありかたを教えてください』と申しましたところ、彼はこのように言いました。
『迷える者の欲望を満たすような寄付は正しい寄付ではありません。
金銭では迷える者を救えないのです。迷える者を救えるのはただ一つ、宇宙知識だけです』
私と彼との会話を聞いていた有力者の方々は、ヴィマラキールティさんがまたお得意の演説を始めたなといった表情で、聴きに集まってきました。
『金銭よりも宇宙知識のほうが尊い寄付ならば、安上がりでいいですね』
などと言う者もおりましたが、彼は気にする様子もなく喋り続けました。
『迷える者が迷うゆえんは執着心にあります。執着心は生じる原因は差別する心にあります。
ところが、宇宙知識は全ての存在は平等であることを示しています。
このことが理解されれば、差別する心は否定されし、執着心も否定されます。それによって迷える者は救われるのです』
『しかし、ヴィマラキールティさん』あるバラモンが言いました。
『あの庭先にいる連中を見てください。彼らは施された食料に群がっています。
食うや食わずなのです。あのように食べることしか考えないような連中に、どのようにしてあなたがお持ちの高尚な宇宙知識を寄付すればよろしいのでしょうか?』
『宇宙知識を寄付するということは、平等性を寄付するということなのです。
平等性の前には身分は否定されます。 ところで否定と消滅は違いますよ。
否定とはそこにあるものがなくなることではなくて、認めないことなのです。
したがって、バラモンでも不可触賎民でも宇宙知識の前では平等なのです。
寄付は彼らにもあなたにも平等に行なわれなければならないのです』
不可触賎民と同一視されてこのバラモンはむきになったようでした。
『しかし、私は金も知識も寄付できるが、あの気の毒な連中は何を私に施してくれるのですか?』
『あなたと彼らが平等であることを寄付するんですよ』
『平等性を寄付するためには、具体的にはどのような行動をとったらよいのですか?』
と今度はクシャトリヤが質問しました。
『あらゆるボランティア活動を通して行なうことができます。困っている人を助け、宇宙知識へと導くのです』
『バラモンさんがおっしゃるように、庭先にいる教養のない連中には難しいように思われるのですが?』
『執着心を否定することは誰にでもできることですよ。それができれば、彼らでもきっかけがあればボランティア活動できるのです。
そのきっかけはあなたが作ればよろしい』
『だんだんイメージが見えてきました。誰かがボランティア活動をすれば、それがきっかけとなってボランティアの輪が広がり、最終的には全ての人がボランティア活動するようになるわけですね』
『その通りですよ。クシャトリヤさん。その輪が完成した状態がまさに宇宙知識であり、真空なのです』
ヴィマラキールティさんがこのように言うと、有力者の方々は歓声をあげて彼を讃えました。
そして、その場のなりゆきで、集めた資金を彼に委ねて有効に使ってもらおうということになりました。
勿論、私も依存はありませんでした。
彼は皆さんに、『この資金を有効に使わせてもらうので一月後、見に来てください』と言って立ち去られました。
その後、彼は貧民街に神殿を建てました。一月でよくできたと感心するような立派な石作りの神殿でした。
さっそく、私達はその神殿に見学に行きました。ヴィマラキールティさんは私達を歓迎して神殿の内部に案内しました。
中央には大理石で作られた仏像が鎮座しておりました。 仏像には金箔が貼られ、眉間にはルビーが埋められ、真珠の首飾りも掛けられていました。
立派な仏像でしたが、莫大な費用をこんなものに使うよりも、貧民に施したほうがよほどボランティアになるのではないかという思いが湧いてきました。
参拝客は場所柄か貧民ばかりで、彼は召使に命じて参拝客の中から、衰弱した不可触賎民の老人やハンセン病患者、重度の身体障害者達に小銭を渡していました。
その光景を見て、私が、 『ヴィマラキールティさん。ひどいじゃないですか!
あなたは私には金銭を配るのは寄付ではないと広言しておきながら、ご自身では配っていらっしゃる。これはいったいどういうことなのですか?』
と苦情を言いますと、彼は笑って、
『この前私が話したことを踏まえていれば、金を配ってもいいのですよ。
失礼ですが、あなたはあまり深く考えずにお金で寄付なさろうとしていた。
ここにいる人達は明らかにお金を必要としているのです。現象空間に身を置く以上、自分の肉体を維持しないことには全ての活動をすることはできないのです』
私は何も言えませんでした。そこで少し不貞腐れ気味に仏像を眺めやりました。
一緒に来た有力者の皆さん方は呑気に仏像の出来栄えを誉め讃えていました。
気をよくしたヴィマラキールティさんは、仏像の解説を始めました。
『ここにおられるのはドシュプラサハ覚者のご尊像です。 この覚者は私達の銀河から二千万光年離れた銀河にいらっしゃって、宇宙中にボランティア活動のエネルギーを送ってくださっています』
『聞いたことのない覚者様ですが、そのご尊像を作ると何かご利益でもあるのですか?』
バイシャの方がこのように質問しました。
『共振現象が起こるのです。この像にはエネルギーを増幅させる機能があるのです』
別の人が質問しました。
『地球にはゴータマ覚者がいますから、わざわざそんな遠くの覚者を祭らなくてもいいのではありませんか?』
『ところが、直接的なボランティア活動に関しては尊師よりもドシュプラサハ覚者のほうが効果的なのです』
『すると、失礼ですが、その覚者のほうがゴータマ覚者よりも格が上なのですか?』
『覚者は全て真空に本体があり完全に一体化を完成させていますから、格に上も下もありません。
ただし、覚者になられるまでのプロセスに違いがあり、それによって現象宇宙における得意分野が生じているのです。
ゴータマ覚者は未熟霊を教化する広大なエネルギーをお持ちです。
譬えれば、ドシュプラサハ覚者は宇宙の偉大な『篤志家』で、尊師は宇宙の偉大な『小学校の校長先生』なのです』
『なるほど、覚者の仕事とはそのようになっていたのですか!』
一同は感心した様子でした。 その時ある人が叫びました。
『そうか、わかったぞ。ヴィマラキールティさんは、ボランティアにおける平等性を示すために、覚者像と最も不幸な不可触賎民という極端な事例に対して寄付を行なったのですね』
すると、他の人達も感心して彼を讃えました。 私自身は正直なところ釈然とはしないのですが、彼の凄さには恐れ入りました。
こんなわけですから、彼の治療などできるものではないのです。
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